普段から同窓会などで親しく付き合ってきて、画家に転身したいきさつや、その作品などについては承知していたはずであったが、改めて系統的にそのたどった道を拝聴して感銘深いものがあった。

 1960年頃は高度成長まっただ中にあり、とりわけ石油からプラスチックや有用な化学製品を創出する合成化学は花形の存在であった。一学年わずか40名の合成化学科には全国から英才が集まってきた。

 坂爪青年は群馬県の沼田で生まれ、地元では秀才と評判であったであろう。しかし大学へ進学してみると、周りの連中があまりにも優秀すぎて、これらの連中と学問の世界で勝負できるのかと迷ったという。そのころ、幼いころから好きであった絵を描くことに熱中しはじめ、4年生になって美術部に入って全関西大学美術連盟展に前衛的絵画を出品して京都府知事賞を受賞してしまう。

代表作のひとつ「カメレオンを飼う」。ローマで出版される小説のカバーになっているときく。はりめぐらされた網は現代情報社会の不安を表現しているという(無断複製を禁じます)。

 先日、京都市美術館開館80周年を記念して行われている作家のギャラリートークにおいて、銅版画家の坂爪厚生氏が講演するというので、大学の同窓生と語らって聞きにいった。

 坂爪氏は世界的にも活躍しているメゾチント技法の版画家である。京都大学工学部合成化学科を卒業したあと、盲学校の教諭をしながら美術の道をめざし、メゾチント技法で独特の銅版画の世界を作り上げた人である。

京都の生活 第152回 版画家の同窓生 (2013.8.8)
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 彼が偉かったことのひとつは、大学卒業を果たしたあとで、絵画の道に進むことに決めて、教員免許を取得して盲学校の先生を務めて生活と両立させながら、画業に邁進したところである。

 その後、立体造形などさまざまな試み経て、市民生活と両立できそうな銅版版画のメゾチント技法にたどりつき、現代感覚を取り入れた独特の画風を確立していくのである。


 当日、京阪神に住む同窓生7名がかけつけたが、まことに爽やかな集まりであった。このときの感激を詩に託してみた。

 「青衿」とは青いえりのことで、これを付けていた若者の故事から、学生とか秀才という意味をもつ。「幾星霜」の霜は年とおなじ。「贏」は聞きなれない言葉であるが、詩語としてはよく使われ、結局最後に得たものはというくらいの意味。「雕鐫(チョウセン)」はどちらもほりつけるという意の言葉である。

 詩では最後にさかずきを挙げることになっているが、実際には、集まった同窓生は『あんみつ』で祝杯をあげ、おまけに割勘で支払っている(笑)。